「異なる彼らとつきあいながら、自分をどれだけ解放できるか」
〜久しぶりのきなこ訪問(4)〜
<前回の続きです>
30年特別支援学校の先生だったXさん。定年退職ののち、えがおのたねのスタッフになりました。
かつて先生だった時には、子どもたちに対して、「〜ができるように」「〜させなきゃ」という思いもあったそうです。
「『学校だから、子どもたちに〇〇をさせなきゃいけない』、『〇〇をできるようにしなきゃいけない』っていう、何となく重苦しい『雰囲気』が、学校の中にあるだけでなく、学校の外からも迫っているように感じていたんですよね。『先生や親の言うことを聞いて、がんばれば、必ず幸せな未来が待っている。だから子ども時代は『がまん』しましょう』というのも、この『雰囲気』に含まれます。『雰囲気』の濃淡は、私が経験してきた学校や地域よって違っていたし、誰かが、はっきりと言っているわけではなく、あくまで『雰囲気』なので、私の考えすぎかもしれないのですが・・・・。」
この「重苦しい雰囲気」の背景についてXさんは、「私の全くの個人的な意見ですが・・・」とことわりながら、次の様に話しを続けられました。
「大げさな事をいうと、1872(明治5)年の『学制』交付からの、日本の学校教育150年間の歴史がもつ、『重苦しい』部分を感じ取っていたのかもしれません。
日本に限らず、義務教育制度はどの国でも、近代国家制度の発足とともに始まりました。この時に、義務教育の学校に課せられた大きな役割は、近代国家を支えることができる『人材の育成』にあったし、これは今でも必要な学校の役割のひとつだと思います。
同時に、子どもたち一人一人の潜在的な可能性を引き出し、『自己実現』を図るのも、義務教育の大きな役割です。
そして人々は、学校で培われた『自己実現』につながる知識と論理的・創造的に物事を考える力を使い、既存の国家・社会の在り方を批判的にとらえ、よりよい国家・社会を形成するのですから、『国家・社会の役に立つ人材の育成』と『自己実現』は矛盾するものではないのです。
戦後、日本国憲法のもとで、義務教育を保障することは国家と保護者の義務であり、子どもたちには『教育を受ける権利』があることが制度上、明らかにされました。教育基本法でも教育は『人格の完成』をめざすのであり、教育によって育成された人材によって『平和的で民主的な国家及び社会』が創られると明記されました。つまり、現在の学校教育は、『今の世の中』で『役に立つ』人間を育てることだけを目標とはしてはいないのです。
実際、近代日本の教育の歴史を見てみれば、黒柳徹子さんが書かれた『窓ぎわのトットちゃん』にみられるように、多様な子どもたちの多様な『自己実現』をめざした教育実践は、戦前の日本においても、そして現在に至るまで、いろいろな形で展開されてきたのです。これは日本教育史の『光と希望』の部分と言ってもいいでしょう。
一方、国によって、時代によっては、『国家・社会に役に立つ人材の育成』という側面が一面的に強調されることがありました。日本であれば、戦時中は『兵員』の育成に、戦後の一時期は高度経済成長を支える『労働力』の育成に教育が偏ってしまったことがあって、これが、未だに尾を引いている部分があるように、私は思うのです。今は、そういう時代ではないはずなのですが・・・・。
悲しいけれど、『欧米に追い付け、追い越せ』を『国是』としなければならず、その『国是』のために一生懸命に尽くしてきたという一面を日本の学校教育はもっていて、その影を、未だに引きづっていると思う、などというと怒られそうですが・・・・。
そういう重い歴史を背景に、『役に立つ、迷惑にならない人間を育て、どのくらい、そういう人間になったのかを点数で測るところ』という学校観が、未だに、世間一般の『常識』として広まっているように感じてならないのです。
この『常識』とか『雰囲気』というのが曲者です。政治が変わり、教育制度が変わったからといって、『常識』や『雰囲気』はそう簡単には変わらないわけで、そこに根深さがあるように思うのです。『常識』に流されずに、『学校とはそもそも何のためにあるのか』を『ふんばって』考え続けないと、いつの間にか『常識』に取り込まれ、『雰囲気』に染まってしまう怖さがあります。これは、先生や保護者だけでなく、直接、学校に関わらない人たちも含めた私たちみんなに言えることです。
子どもたちが学校の外で何が目立つことをすると、『学校は何やっているんだ!先生は何やっているんだ!』と、『常識』的な世間一般の人々からの学校へのお叱りの声が少なからずあがりますね。あれにも先生方は必死に応えようとし、子どもたちが『きちんとできるように』がんばってしまう。これも学校をとりまく『常識』と『雰囲気』のなせる業でしょう。
私自身、学校で働いていた時には、お恥ずかしながら、『常識』に流され、『雰囲気』に染まっていたと思いますし、学校を離れた今だって、『学校なんだから、子どもたちに〇〇させてもらわなきゃ』などと、意識せずに思ってしまう時もあります。
この『常識』や『雰囲気』が、私の感じていた『重苦しさ』とつながるように思うのです。」
Xさんは、きなこで働くようになって、「改めて自分の『先生くささ』を感じた。」そうです。
そして、次第に、「『ここは学校じゃない』と方向転換しないと、自分自身も面白くない。」と思うようになりました。
それからは、子どもたちを「待つ」ようになりました。
すると、以下の気づきがあったそうです。
「以前は子どもたちを大人の世界に合わせようとしていた。その結果、障害について色々勉強していても、知識で終わってしまい、それがいかせなかった。
今、子どもを待つようになって感じるのは、待っている間、子どもの内面に同期(シンクロ)している自分がいる。これが、本来の意味でのアセスメント(実態把握)であり、このレベルのアセスメントがあって、はじめて知能検査結果なども意味をもってくるのだと思った。」
「思えば、『いかに同期(シンクロ)できるか?』ということに対しての知識だったはずなのに、そこが見えなくなっていた。」
そして、「もともと、こういう関係を目指したかった。」と実感されたそうです。
その結果、「自分自身の気持ちが楽になった。」そして、「大人が楽しそうにしている姿が、子どもたちにも影響し、子どもたちの成長が違う。」と話されました。
さらにXさんは、
「かくあるべし」を手放すことで、「子どもたちの世界観」そのものに接近できる。
「かくあるべし」は自分、というより私たちがどっぷりつかっている、歴史的に作られた普遍的ではない価値観からのもの。ここから距離をとろうとして、はじめて、自由になれる。
と、感じたそうです。
確かに、私たちは産まれた時は何一つ「かくあるべし」という価値観を持っていません。
けれど、成長していく過程で、世間の価値観や他者の評価を身にまとい、様々な「かくあるべし」を身に着けていきます。
「〜らしさ」「普通は」「常識・非常識」「当然」…。
そのような言葉も、「かくあるべし」という思いから生じた言葉のように感じます。
「かくあるべし」を持たない自由な子どもたち。
そんな子どもたちを理解することは、異文化を理解することだと、Xさんは言います。
確かに、海外旅行のように、「違うもの・異なるもの」に触れることは、自分に色んな気づきをもたらします。
Xさんはさらに、「今後、障害児福祉の仕事につきたい」という若い人たちに向けて、次のようにお話しされました。
「子どもたちに『何をしてあげられるか?』よりもむしろ、『異なる彼らとつきあいながら、どれだけ自分を解放できるか?』『自分を解き放ち、楽しい人生を送れるか?』そちらを期待してほしいです。
『障害特性に合わせた子どもとのかかわり方』や『心理検査の使い方』などの勉強もされると思いますが、そういうことも、『自分とは異なる子どもたちの、未知の「見て、聞いて、感じている世界」にせまりたい』という構えがあれば、単なる技法の習得に留まらず、深く、楽しく学べます。
放課後等デイサービスなどの障害児通所支援は、現在の形で制度が始まってから、まだ10年ちょっとです。歴史を創っていくのは、若いみなさんです。開拓者として、多様な子どもたちの多様な世界を、思い切って探求していってください。」
と話されました。
Xさんは、学校の先生方にも、次の様なエールを送ります。
「『今の世の中の役に立つ、迷惑にならない人間を育てるのが学校』という世間一般の『常識』と学校内外からの『雰囲気』の『重苦しさ』を感じながらも、かつての私よりも、よほどしっかりと『ふんばり』、少数派の子どもたちにも同期する力を磨き、子どもたちの多様な可能性を切り開く、豊かな実践を行っている先生方が、今、身近な所にもいらっしゃるのです。
その中にはベテランの方々も、若い方々もいます。肩ひじはらずに仲間の先生方や保護者と関わり、しかし眼差しはずらさずに子どもたちに向け、さりげなく『ふんばる』、本当の意味で『かっこいい』先生もいれば、『重苦しい雰囲気』に染まった学校の中で孤立しがちでも、『自分が先生になった原点』に立ち返って『ふんばり』、少数派の子どもの視点にも立とうとする先生もいます。『常識』に流されがちだった私から見れば、そういう先生方が『まぶしく』見えるのです。
この方々は、150年の厚みがある日本の学校教育の『光と希望』の部分を受け継ぎ、今の現場の最前線で体現されている先生たちです。
今、私は学校の外から、それらの先生方から学び、先生方を応援し、先生方と共に歩んでいきたいと思うのです。そのために、私がめざしたいのは、子どもたちがきなこで見せる豊かな彩を、そういった先生方にも届くように発信することです。」
私はXさんの話を聞きながら、「いろとりどりの親子」という映画のレビューを思い出しました。
この映画は、自閉症・低身長・犯罪者になった子など、様々な少数派の子と、その親の姿を10年間取材したドキュメンタリー映画です。
自身も性的マイノリティ−であるブルボンヌさんは、レビューで以下のように書かれていました。
「親に『そう生まれた』ことを嘆かれた人たちは、私のまわりにも少なくない。
少数者に生産性があるか、ではなく、そのカラフルな存在によって『親や社会が気づき変わること』に
生き抜く希望があるのだ。」
「色んな人がいる。そして自分もその中の一人にすぎない。」
と言うXさん。さらに、
「『こんなに面白い人もいるんだから、人間の社会って結構面白いよ。』
そんなことをこれからもえがおのたねで発信していきたい。」
と話されました。
私もこれからの取材で、自由な彼らから、どんな気づきを得られるのか?
そして、気づかず身にまとっている、様々な「かくあるべし」から自分自身を解いていくことができるのか?
心から楽しみです!
(sakuko)
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